2009年08月18日
精霊流し
一週間のご無沙汰でした。先週は義父の初盆で諫早に行き、精霊流しを始めて体験した。諫早は長崎ほど凄くはないらしいが、その一端を経験できた気がする。佐世保ではあまり見た事がないし、お盆に田舎に居た事が学校卒業以来無いという事で驚きの連続でした。
まず初盆の墓参り。13日から15日までお墓に寄贈された提灯を3段に立て線香を上げる。故人の知り合いが来ては線香を上げてお祈りをしていく。夕方4時過ぎから7時頃まで毎日繰り返す。最初の日は途中雨が降り出したためあわてて提灯を仕舞い戻った。戻ると親戚で故人をしのびながら慰労会。
その間精霊舟を親戚の建築士が作ってくれて家の庭に運ぶ作業。翌日から舟の飾りつけ。先端と屋根はヒノキの枝を敷き詰めるため2坪分のヒノキの枝をこれまた親戚の人がトラックで運んでくれた。それを敷き詰めたらお飾りを挿していく。舟の後ろはござを巻き、3分の2ほど下を糸を切って下がりのように一本一本下げていく。そして、舟の提灯は電気工事をして発電機を載せて20Wの電灯をつける。これは電気工事士の資格を持つ長男の仕事。皆役割分担を決め3日間忙しく準備した。(私は下がりと写真係・・・これしかできない)
15日は最後の日。軽くご馳走を食べた後、夜の8時近くに警察に届けたコースどおりに親戚で精霊舟を押して行った。近年は舟を川に流すことは出来ず、川の側の集積所に集まることになっているらしく、そこまで爆竹を鳴らし鐘をちんちん鳴らしながら皆で舟を押して練り歩いた。掛け声は「ドーイ・ドイ」・・・なぜそういうのか聞いてみたが誰も知らないと言っていた。
9時前に後片付けも終わり、皆家に戻ると最後の慰労会。長崎市内に住んでいる親戚の話ではかなり立派な舟であり、長崎でも「中の中ぐらいだ」とのこと。
ゲツ・・・これより大きく作るのか!さだまさしの「精霊流し」の印象とはまるで違う世界だ。宴会は3日間久しぶりに会う人達と和やかに酔っ払いながら たけなわとなりお開きとなった。
故人は西方丸に乗って極楽浄土へ戻ってしまったようだ・・・。
まず初盆の墓参り。13日から15日までお墓に寄贈された提灯を3段に立て線香を上げる。故人の知り合いが来ては線香を上げてお祈りをしていく。夕方4時過ぎから7時頃まで毎日繰り返す。最初の日は途中雨が降り出したためあわてて提灯を仕舞い戻った。戻ると親戚で故人をしのびながら慰労会。
その間精霊舟を親戚の建築士が作ってくれて家の庭に運ぶ作業。翌日から舟の飾りつけ。先端と屋根はヒノキの枝を敷き詰めるため2坪分のヒノキの枝をこれまた親戚の人がトラックで運んでくれた。それを敷き詰めたらお飾りを挿していく。舟の後ろはござを巻き、3分の2ほど下を糸を切って下がりのように一本一本下げていく。そして、舟の提灯は電気工事をして発電機を載せて20Wの電灯をつける。これは電気工事士の資格を持つ長男の仕事。皆役割分担を決め3日間忙しく準備した。(私は下がりと写真係・・・これしかできない)
15日は最後の日。軽くご馳走を食べた後、夜の8時近くに警察に届けたコースどおりに親戚で精霊舟を押して行った。近年は舟を川に流すことは出来ず、川の側の集積所に集まることになっているらしく、そこまで爆竹を鳴らし鐘をちんちん鳴らしながら皆で舟を押して練り歩いた。掛け声は「ドーイ・ドイ」・・・なぜそういうのか聞いてみたが誰も知らないと言っていた。
9時前に後片付けも終わり、皆家に戻ると最後の慰労会。長崎市内に住んでいる親戚の話ではかなり立派な舟であり、長崎でも「中の中ぐらいだ」とのこと。
ゲツ・・・これより大きく作るのか!さだまさしの「精霊流し」の印象とはまるで違う世界だ。宴会は3日間久しぶりに会う人達と和やかに酔っ払いながら たけなわとなりお開きとなった。
故人は西方丸に乗って極楽浄土へ戻ってしまったようだ・・・。
Posted by からまつの森住人 at 17:52│Comments(0)
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